つなぐ人フォーラム

つなぐ人フォーラム
デザイナーの横山貴敏さんと初めて出会い、お互いの分野も立場も詳しく分からずに一緒に始めてみた2.5時間ワークショップ。

http://bono.co.jp/2018/03/06/6666.html

自分が探していた世代や立場を越えたコミュニケーションに必要な要素を感じ取れる時間になりました!

昨日、新潟で久しぶりにお会いしてきた、
自分が尊敬してやまない陸奥賢さんの遊びの企画にも体感でき、だからこそ何度やっても誰とやっても楽しいんだろうと実感ですよ。

自分の遊びのテーマに必要な要素は、工学で使われる遊びの要素。
隙間とか緩みとか余白と呼ばれるもの。

規則や大まかなルールはあれど、コミュニティに合わせて自由にルールを作り替え、物語を想像しながら、自分なりのゴールへ向かう。
そしてそれが許されること。

これが正解だとか。これが評価されるとか。
誰かが決めた誰かの基準の上に生きていることが多いなって最近は感じてきている。

大きな社会の正解を変えることは難しいけど、自分の周りの小さな社会の中で、世間で何と言われようともこの中での皆が幸せになれる何かを先ずは見つめて生きたい。

ここ1年くらい隠れてました。

自分の肩書きをできる限り消し、自分のプロフィールを隠し続けて約1年経ちました。

 

実感したことは、あえて伝えなくても知りたい方は直にでも聴きに来るのだな。

 

実は自分自身へのアプローチを不便にしてみたらどうなるのかを実験してました。
この情報が統べる社会の中で、どこまで情報を伝えずに語れるのだろう。
(それぞれ自分の言いたいことしか言わない人がほとんどですがね…)

 

結果としては、必要な時に必要な方に出会えるようになったのかな。

 

何より交流会に参加してみると、
見事に肩書きと外見しか見ない人と、お互い短い時間でもしっかりと話をする人と大きく分かれている現実を目の当たりにして、

最初落胆もしてましたが、


今では、

会話の最適化が出来てるんじゃないかと思えるようにね。

習熟のしかたとかね。

最近まで、
あれもこれも頑張って習熟していかないと。

って思い、様々なことを同時に実施してきましたが、

自分の目の前に訪れる事柄に集中し、自身の役割を磨いていくことが大切なんだと少しずつ実感中。

今、思い出すのは、大好きだった『ガンパレード・マーチ』というゲーム。
その中の登場人物の滝川陽平を思い出す。

彼は、ヒーローになりたくて努力し、苦労し、様々な格好いいことに手を出しながら活躍していくが、

最終的に彼がたどり着いたのは、世界を救うヒーローの為の最高の脇役になるということ。

自分の立ち位置がどんなものであっても、そこに誇りを持って磨きとおすことでしか、見えない。その人でしかたどり着けない場所があるんだろう。

新しいものに次々と挑戦していく姿も大切なんだとは思うけど、いくつか見てきたものを考えるといらないんじゃないか。もっと自らの立っている場所を見直して磨き、シンプルに、違和感なく、分かりやすくしていくほうがいいんじゃないかな~って思っちゃうところ。

生き方も、仕事も、店も、イベントも、まちづくりも、ほとんどそうなんだろうな~

今、本気でいるか。

思い立って、覚醒映画『くう』を観てきました。

映画は、即爆睡という自分でも何とも言えないスタートでしたが、まあ、それでもいいんだよね。

講演会にて、最近、様々な方から言われていることが改めて府に落ちました。
今年に入って新しい取り組みを担うことが多くなって、そのほとんど全てに力を注いでいるのですが、

自分はこのままだとパンクしてしまうんじゃないかって思い、自分の限界を知るためにやっていると言ってきました。

でも、昨日ある方から、そして、今日も。
限界じゃないんだなってね。本気を出す機会をいただいているだけなんだなと。

まだまだ自分は本気で目の前の課題に打ち込んでいないと。集中して動いていかないと。というふうにな。

そしてふと、気になったこと。
映画後に、とおまさんによるインディアンドラムの演奏と唄が披露されたのですが、背景が最初は赤色のライトだと思って見ていたのですが、ふと見直すと青色に見える。

これは赤色のライトが青に変わったのか。
それとも、オーラを見ていたのか。

オーラは共感覚の一種なので、彼女が伝えようとしていた音楽や想いが視覚として見えたと言っても過言ではないだろうと思える。

青色のオーラは、愛情を表し、相手を愛で信頼するという意味から勇気ある挑戦という転換も可能な色。

今回のテーマにあった、これから目の前に起きることに本気を出して挑戦をしていくこと。

それが色となっていたのかもな。
なんて思える時間でした。

さて、今年は現状としても様々な挑戦に生きています。
愛という言葉も見えてきて、これからいかに挑んでいくのか。楽しい限りです。

一生に一度しかない

一生に一度しかない人生なのに、あなたは何をしているのか?

といった質問が忘年会であった。

一生に一度しかないのならば、この世の中にある不条理なことに挑み続けて、自己を犠牲にしてでもこの先の未来に繋げていきたいといった応えに希望はあるのかないのか。

分からないけど、今のままだと何もできない自分が悔しい。継続して僅かでも希望を作っていきたい。

夢を持たないことが夢だと普段は言っているのですが、自分の本質に刺してくる言葉には真剣に未来像を語る自分がいることに気がついた。

普段は自分を持たずに生きてしまうのもあり、多くの人の意見に流されてしまいますが、自分の中に揺るがないものがあるんだなと、嬉しく感じる。

出会いと別れ

年末に差し掛かると、昨年の今を思い出す。

関わることがなくなった方々、
不思議な縁で関わらせていただいている方々、

それぞれ出会いと別れを繰り返し、これからもその繰り返しで生かされて行くのだろう。

本物の出会いがあれば、本物の別れがある。
本気で求めてばかりでなく本気で手放さないといけない場面で、別ればかりを惜しんでしまう。

他者より頂いた自分からの最高の贈り物を、その方に渡して、その人の幸せを祈り続けていたい。

今の自分が、いつまでも今のままでい続けられる訳ではないから。
どうしようもない運命を笑顔で迎え入れられるために。

藍色少年少女 上映会

藍色少年少女』の上映会、楽しくお手伝い、そして、観させていただきました。

映画の中でのセリフは詳しくは覚えてませんが、「ぼくは、ぼくだけで出来てないよ」というセリフが印象深かった。

多くの方々との出会いや別れ。それぞれの記憶の中で生きていることを大切にしていきたい。

私の大好きな喜多川泰先生も、【幸せ】は「過去の出来事が全て認められたとき」と話されていたことを思い出す。

幸せは、不幸があるから幸せがあるみたいな相対的なことではなく、自分の周りの出来事が全て今の為にあるんだなと実感すると、見比べなくとも幸せと感じる。

自分が、まわしよみ新聞や交流会を実施し続けている理由がここにある。

他者を観て、話を聞いて、それぞれみんな違うことを知り、自分の考えも当たり前や常識だと思い込んでいたものを捨てる。

ぼくの中に誰かがいて、ぼくの中にぼく自身がありのままにいる。

そして、誰にも変えることのできない自分が奥底にあることに気づける。
どうしてと捨てることのできない自分に出会えるときに、奥底の押さえつけられてきた自分自身が見つかるのかなと思えました。

今日は一日、多くの方々の思いに触れ、自分の奥底の思いに触れることができたかかなと思います。
この貴重な機会に感謝して、これからも伝えていきたいです。